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海外での経験

 こんにちは。こんばんは。きつね です。

 

今日は、長男の学校では流行り病のせいで学校がTeamsを使ったリモート授業で、となりの部屋では父がTeamsでリモート会議。

ある意味、流行り病のせいで光速のごとく時代が変わっていて、変化が好きな私には、この乗り遅れないための必死さが楽しくて仕方ないです。

学校の先生も大変ですが、頑張ってください!!!!

 

さて、今日のテーマは「海外での経験」です。

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この写真は2004年のニューヨークのブロードウェイです。

 

この頃は、9.11の影響がまだ残っていて、入国審査が厳しかった記憶があります。

ただ、今の流行り病のような状況とは違い、入国してしまえば警備はそこそこ厳しいですが、異様なぴりぴり感はなかったですね。

 

ニューヨークはへ仕事で行きました。

職場はマンハッタンではなくとなりのロングアイランドにある事務所で、なんと帰国は設計作業が終わってから。

これって、確実に最初の帰国の予定が遅れるパターンじゃーん!んで、結局、4か月ぶっ通しで作業。

観光ビザでいったので、90日リミットに引っ掛かる為、いったん帰国し再度米国に入国。

前にも書いたのだが、当時のアメリカは入国が厳しくて、複数の国を経由していたり、短期間の出入国をすると、入国管理官に別室に持ってかれて、最悪強制送還見たいな事があるので、再入国する際は、会社からレターを作って持っていました。

 

そんで、出張の間のアパート管理や新車で納車したばかりの車はどおするんだー!っとアメリカ人のマネージャーに聞いたら、アパートはどうする事も出来ないが、車は船便で送ろうかとジョークを浴びせられるし。

しかも私は海外2回目でいきなりの長期滞在+仕事。

とにかく英語がやばい、やばい、やばいと毎日毎日、枕を涙で、、、、、濡れなかったです!

 

英語については、私自身、中高と英語をさぼっていたのと、留学経験も特になかったので、英語は自分では絶対しないから、就活時に仕事であれば逃げられない状況ができると確信し今の会社を選びました。

ある意味、自分の希望通りになったわけだが、これがまたしんどいしんどい。

幸い、私の会社は外資なので、英語のメールも社内の人向けなのでハードルは高くないにしろ、初めは1通のメールに1日かけて書いていていました。

片手に辞書と、当時Google翻訳みたいな便利なサービスがなかったので、とにかく必死に文章を作ってましたね。

 

そんなこんなで、メールがある程度かけるようになってからの出張だったので、読み書きはいいのですが、話すとなるとこれまた別の話で、質問がある場合は、まずなんて聞けばいいか質問を考えます。そのあと、現地の担当者に質問をしに行くのですが、その人のしゃべっている事が何言ってるかが??になることがほぼ毎回。

ただ、自分が聞きたい事をゲットしないと仕事ができないので、何回も何回も聞いては確認し聞いては確認を毎日くりかえしていました。

 

休日は写真にもありますが、マンハッタンに行ったり、釣りをしたり、近くのショッピングモールに行ったりと、アメリカの生活をそこそこ楽しんでましたね。

その時、見てたテレビはMTVとFuseという音楽チャンネルをよく見てました。

ドラマや映画は英語がわからないのでPassしてました。

音楽なら気にならない!!まさに音楽は世界の共通語!!!!

MTVだと、Pimp my rideが大好きで、ボロボロの車がピッカピカのカスタムカーになってオーナーに渡すのですが、これがまあアメリカンカスタム。一番印象的だったのが、42インチのテレビを車内に入れてゲームかなんかできるようにしてたのをみて、スゲーなと思いましたね。

今も、どっかのチャンネルでPimp my rideがやってたと思います。

Fuseについては現地のローカルな音楽チャンネルだったと思いますが、この時にMaroon 5の「This Love」が非常に印象的でした。

 

 それ以外にも、JET、Yellocard、Franz FerdinandHoobastank, Incubus, Lostprophets, Blink-182, Simple Plan, Sugercult が特に気に入ってCDを買っていました。

なんせ、毎日同じ曲がヘビーローテーションでかかっているので、いやでも覚えてしまっていて、今でもその当時聞いていた曲名いえるんじゃないでしょうか。

それくらい、暇なんでよく見ていました。

 

当時の滞在先というのは、アパートとレンタカーを借りて、滞在が延長になるとアパートから会社近くのHampton Innに移りホテル暮らしをしていました。

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Hampton Inn最高!!カフェテリアにあった、ドギツイ色のカップケーキとドーナツは最高でした。

 

長期のHampton Inn暮らしはもはや、コンシェルジュ付きのアパートにいるような感じで、ホテルのフロントの人と仲良しになる不思議な時間でした。

 

その後、帰国する頃には一緒に作業していた現地のアメリカ人とは普通に話をしていたのは、自分でも成長したなと気づきましたね。

ただ、話している内容の理解は半分くらいですが、フィーリングでやり過ごしてました。

その頃から、海外に行くことへの恐怖感や英語に対する壁が取り払われて、まさに

「かかってこいやー!」

と言わんばかりに、日本しか知らなかった自分の世界が一気に広がった瞬間だったのかもしれないと今は思います。

 

今では、とにかくキッカケを作って色々な所に行きたくてしょうがないです。

こんな状況なので、いつ海外に行けるチャンスが来るかわからないですが、早く行けるようになってほしいですね。

 

英語というか英会話についての私の考えですが、もしあなたが英語が話せるようになりたいのであれば、とにかくネイティブの人とたくさん会話してください。

私の今までの経験ですが、

「中学生の英語しか話せなくても大丈夫です!」

話す相手は、機械でもなくテスト用紙でもなく人なので、少しくらいの文法の間違いや単語が出てこなくても、こちらの伝えようとする姿勢があれば必ず、こちらの言いたいことを組んで理解しようと真剣に聞いてくれます。

とにかく、会話をする勇気を持つと何となくその場の会話はどうにかなるもので、その後に、あの時どういえばよかったのだろうとか、あの言葉は英語でなんて言うんだろうという疑問が次のステップにつながって、いつの間にか普通に話をしている自分になるわけです。

 

私は今アメリカの会社に勤務していますが、正直言うとTOEICのスコアもそれほどではなく難しい単語もよく知りません。

ただ、仕事で会話する際には相手に正しく簡潔に伝える事が重要なので、変な言い回しで誤解されるより、シンプルな単語で伝えることの方が重要なのかなと思います。

数年前ですが、その当時私の単語力は恐らく高校生くらいかそれ以下かもしれませんが、同じ仕事をしている海外の人から、私のつたないシンプル英語をほめて頂いた事もありました。多分リップサービスでしょうが、うれしかったですね。

こうゆうことがきっかけで、今まで目標に向かって自分がやってきた事の正しさを実感する事ができます。

 

この体験は私の子供たちにも是非伝えたくて、とにかくチャンスがあれば海外に出て、視野を広くまた海外の人との交流を積極的にして、人生を豊かにしてほしいと思う今日この頃です。

 

日本は本当にすごい国で、自国の言葉だけで生まれてから死ぬまで自分の国だけで完結できる素晴らしい国です。

特に、教育については福沢諭吉をはじめとする過去の偉人のおかげで、英語で書かれた海外の知識を日本語で勉強できる環境がすでにあります。

 

諸外国では、母国語で高等教育を受けられないがために英語を勉強し、アメリカなどに留学するといったパターンが出来てます。

その一方で、外に目を向ける機会がなく、最近の大学生も海外に興味がないと答えたアンケート結果がここ数年で増えていると言う事も聞きました。

そうなると、井の中の蛙大海を知らずになってしまい、せっかく広い世界にはいろいろな場所や人がいるのに、それに触れないで死んでしまうなんて、私からすれば本当にもったいないの一言に尽きます。

 

仕事をするにしても、これからの日本経済は人口減少の影響で収縮します。それに伴って企業の淘汰が進み、ビジネス事態も日本だけでなく海外にも目を向ける必要になった時に、海外を見ない視野の狭さで、自分の進む道が1本のロープのように狭くなる可能性があると考えると、海外を見る視野を持つ必要性の重要性が理解できると思います。

仕事がなければ、稼ぎも低いままですからね。

そうならないためにも、是非旅行でもなんでも良いので、日本とは違う光景や文化、人に触れる事をお勧めします!!

 

絶対にいい事ありますよ!

 

以上、Gungool でした。

 

今日も頑張ってブログ書いたぞー。